『猫の日(=^・^=)』に思う

子供の頃 私の家には犬も猫も居たことがありますが

当時の犬は番犬代わりに外飼いが普通の時代

家の中を自由に動き回ってたのは猫でした

もっと幼い頃にノラ犬に追いかけられたことがある私は

犬は怖い というイメージが残ってた為に

膝に乗って来たり 夜は布団に潜り込んで来るシャム猫のピコが大好きでした

いつの間にか目が見えなくなっても(おそらく若年性白内障)

小学校から家に帰り「ただいまぁ」の声を聞くと

あちこちぶつけながらも2階から階段を降りて来て

私を出迎えてくれるピコが もう可愛くて可愛くて、、

だから動物と暮らす楽しさを最初に教えてくれたのはピコでした


でもね、、所詮私は子供です

ご飯をあげるのも 病院へ連れて行くのも面倒を看てたのは母親でした

だから決してお世話してたとは言えません

子供たちに見せるのは可哀想という親の想いからだと思いますが

そもそも亡くなった姿を見てないんですよ

可愛がるだけで ちゃんとサヨナラも言えなかったことが悔やまれます

そんな風に思えるようになったのはラムっちと暮らしたからなんですよね

動物と暮らすとはどういうことなのか

病気になったり 怪我をしたり お別れしたりと辛いことが色々あっても

日々の暮らしの中には 幸せを感じることがいっぱいあると

15年間 寄り添ったラムっちが教えてくれました


“ペットブーム”と言われてから何年経ったでしょうか

そして今は猫ブームだとか・・・

家族同様に暮らす動物たちが増えた一方で

販売業者側が無駄な繁殖を繰り返したせいで命を粗末に扱われ

ペットショップなどの生体販売に対しても反対の声が上がっています

また、飼ってみたものの何らかの理由で飼育放棄して殺処分されてしまう

そんな悲しい悲しい現実があるのも事実です

実際 保健所等へ連れて行くのは大半が飼い主だそうです

所有者不明の子たちの中には 捨てられた子もいるのではないでしょうか

そして 殺処分されるのは犬よりも猫が多いということは

去勢・避妊されてないノラ猫にも繋がるような気がします

環境省の資料より


幸い預けられた動物たちを引き取ってくださるNPO法人はありますが

元はと言えば 飼い主の問題です

終生一緒に暮らす、最期まで面倒を看る

そういう覚悟を持って動物たちを迎えるのであれば不幸な子は減っていきますよね

私が 「殺処分反対!」 と声を上げないのは(もちろん 賛成ではありません)

まずは 最期まで責任持とうよ という思いが1番だからです

これは 仔犬時代の愛くるしさは一時的なもので

老いを感じるようになると愛おしさが増すことを

ラムっちを通して経験したからこそ言えることでもあります


2月22日は『猫の日』

「猫と一緒に暮らせる幸せに感謝し、猫とともにこの喜びをかみしめる記念日を」

という趣旨で制定されたそうです

ニャンコもワンコも 1匹でも多く幸せになりますように。。

幸せだと感じられる飼い主さんが増えますように。。

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ゆき&ラムっち 2014年1月2日

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ぼく&ロッティ 2016年5月1日

Comment

ポージィ  

こんにちは

猫の日にちなんでの、mikiさんの思い出と
ペットと呼ばれる動物たちと人間の、かかわりと現実へのお考え。
たくさんの共感とともに読ませていただきました。
私も大小悲喜こもごもいろんな思い出があります。
苦~い思い出も。良い思い出の中にも悔いが残っていたり。
でも、動物たちと一緒に暮らしていたときのほうが、
心身ともに充実してた気がします。
次は、きっともう少し悔いの少ない良い関係を作っていけるかな
とも思うんですけどね、諸々の事情で迎えられずにいます。


2017/02/23 (Thu) 10:38 | EDIT | REPLY |  

miki  

ポージィさん

月1ブログにようこそです(^^;

ポージィさんとは クックたんとラムっちが居たからこそ
繋がることができた、、そう思っています
そこには「ブーム」に乗っかってではない
犬とのかかわり方の基本は同じだったとも。。

動物と暮らすことは そう簡単なことではない
ずっと先のことまで考えて決めないといけませんよね
だから今は無理でも いつの日か条件が揃って
受け入れ態勢が整った時に
ポージィさんが出会える子が現れるような気がします
それは犬ではなく猫かもしれない
そんな日が来たら嬉しいなぁ(^_^)


2017/02/23 (Thu) 14:54 | EDIT | REPLY |  

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