20年経っても

カレンダーを眺めてて ふと気付いたんですけど

もしやブログ始めて10年が経ってるのでは???

と遡ったら 始めた日は2005年1月はじめ 11年目に突入してました

当時はブログの機能も知らないまま 

初日には『3日坊主にならぬよう、、』なんてこと書いてたのに 

よくまぁこれだけ続いたものです(学生時代に欲しかった この根気)

この10年の間にはSNSにも顔を出すようになり

そちらでの愉しさも充分感じてますが ここは自分のホーム

思ったまま感じたままを綴っていける気楽な場所だから続けられたのかもしれません

まっ ほとんどがラムっちのことなんですけどね(^_^;



その2005年から更に10年前の1995年1月17日、阪神淡路大震災が起こりました

あの日、、、地震で飛び起きたものの

テレビを点けて目に飛び込んできた映像を観て

初めて「大変なことになってる!」と愕然としました

(西宮に住んでる)姉達は・・・

友人達は・・・

私の大好きな街、神戸は・・・

誰にも連絡もつかず(大阪の母親にも)不安なまま出勤したところ

当時勤務していた接骨院には待合室にテレビが置いてあり

神戸の様子を映し出す報道が気になって仕事が手に付きません

そして あるスタッフが映像を観ながら患者さんに

「東京じゃなくて良かったですよねぇ」

そう言ったのが耳に入って来て

『コイツは何を言ってるんや!?』(こういう時は関西弁になる)と呆れました

情報網が麻痺する もっと被害が大きくなってる

そういう意味で言ったのでしょうが

じゃあ ここ広島で起こったら同じことが言えるのか?

仕事中でなければ そう聞いてやりたかったです

そのたった一言で 彼女への信頼が薄れたことは言うまでもありません


仕事が終わって急いで帰宅して 少しずつ連絡がつくようになって初めて

姉が住んでるマンションはヒビが入って少し傾いたけど一家は無事

友人達も何とか無事だったことがわかり やっとホッとできました

だけど神戸はどうなるんだろう

当分 そのことが頭から離れない日々が続きました


その後 何度か神戸を訪れた時

街は見事に復興して元気が溢れてるように見えましたが

被害に遭われた方達

家族や愛する人を失った方達

今も心に傷をもったまま暮らしてる方達がおられます

人間には「想像」することができるんですよね

4年前に起きた東日本大震災の時も

昨年起きた ここ広島の土砂災害の時も

どんな災害や事故、事件にだって

もし自分だったら 自分の家族だったらと置き換えれば

決して「〇○じゃなくて良かった」なんて言葉は出て来ない筈です

そういう意味では 勉強させられた日でもあったわけで。。。


あれから20年

今日という日を迎える度に甦る記憶

決して忘れられない 忘れてはいけない1月17日です

Comment

ポージィ  

こんにちは

mikiさんも11年目に入られてたんですね♪
ほとんど数ヶ月違いのブログスタート(2004年秋~)で、
同じ年月ブログの世界にいること、そしてそれを通して
知り合えたこと、今も繋がっていられることに感謝しています。
私も作年、ほんの一瞬Facebookのアカウントを取得したんですよ。
でも、やっぱブログ以上は無理、と数時間で解除しちゃいました。
 

今日はあれから20年の日。
TVの画面で、今まさに進行中の災害を生々しく目にしたのは、
阪神淡路大震災が最初だったかもしれません。
街は綺麗に生まれ変わりましたが、被災された方達の生活や心は、
今も苦しみ辛さが続いている方が多くいらっしゃること、
がむしゃらに頑張ってきたけれど歳を重ねて疲れ果ててしまった方も
少なくないこと、それでもまだ頑張り続けねばならないという苦しさ 等々
mikiさんが仰っているように、私たちは想像力を駆使して
想いを馳せるべきですよね。自分の想像力の至らなさも認識しつつ。
とは言いつつ、ずっと想い続けること、すべての災害・事件・事故を
ちゃんと記憶していられないのが実情なのを、
申し訳ないとも思ってます。

2015/01/17 (Sat) 15:36 | EDIT | REPLY |  

miki  

ポージィさん

私より1シーズン先輩でしたか♪
こうやってお話できるのも
naubuさんのお蔭(お元気かなぁ)
クックちゃんとラムっちのお蔭ですね
ポージィさんがFBを始めたのなら友達申請しようかと思いましたが
削除されましたか
そういう私もInstagramの写真と、ここをリンクさせてるだけで
独自にはやってませんが(^_^;

そうですね、、画面で見る という正に目から入る災害を体験したのは
あの震災が初めてでしたね
友人達は無事だった と書きましたが
その後 高校の友人はご両親を亡くしてたことを知り
かける言葉が無かったです
ちゃんと記憶しておくことは無理でも 
何かのきっかけで思い出すことはできますよね
目の前の出来事に追われる毎日を送ってる以上
想い続けるのは無理ですよ
今日だけは私にとって特別な日なので書かせてもらいました

お互いいつまで続けられるかわかりませんが
このご縁を大切にしたいです(^_^)

2015/01/17 (Sat) 22:12 | EDIT | REPLY |  

koko  

まる10年。
私もだいたい同じくらいです。
2005年4月からですから。
なんか不思議な感じがしますね。

阪神大震災の日のことは私も鮮明に覚えています。
そして、スタッフのかたの言葉については、
mikiさんの気持ちもスタッフの方の気持ちも両方わかるような気がするなと。
災害がどこで起ころうと、
人の命や被害に違いはありません。
命は尊いし被害は大変なことです。

こちらではたぶん広島より頻繁に普段から地震がありますが、
私はすぐ震源地はどこだろうって思ってチェックします。
なぜか?
それは首都東京が震災に見舞われたら、
それによって会社が経営を続けられなくなったら、
私はどうやって生きて行けばいいのかわからなくなるからです。
たぶんスタッフのかたの言葉は、
そういう意味合いがあったのだろうなと推測されます。

首都移転の議論がされていた時期がありましたねえ。
東北に住んでいるとなおさら思うのですが、
中央に頼りっきりじゃなくて、
首都東京が被災しても地方が東京を助けられるくらい
地方もしっかり自立しなくちゃいけないって。
補助金もらわないとなんともならないようじゃだめじゃんって。
翻って自分もそう。
会社がなくなったらどうしよう、じゃなくて、
どんな状況でも生きていけるような人間になれよって。
息子にもそれは言っています。

一度、仮設住宅にボランティアとして行ったことがあります。
でも、私の役割じゃないなって感じました。
すごく居心地がわるかったんです。
何の苦労も悲しみも知らない自分が来るところじゃないって。
私ができることは別のことだって。
今も模索中ですが、
とりあえず息子を立派な社会人にして、
いっぱい税金払う人になってもらうことでしょうか笑。

2015/01/20 (Tue) 13:23 | EDIT | REPLY |  

miki  

kokoさん

確か、私が始める1年ぐらい前からブーム?になった記憶があるんだけど
なんとkokoさんも同じような時期にですか♪

うーん、、そのスタッフはそこまで考えてたかな
東京とは縁もゆかりもなかった筈なんだけど
kokoさんのように 生活に響くことは無かったですよ
単に 一般論として言ったんだと思います
私は東京生まれだし 親戚も多いので
そういう意味では 東京が被害に遭ったらそれはそれで心配ですけど・・
どこであってもいけない、、
でもどこかで起こっても不思議ではない日本に住んでる以上
覚悟しながら生きていかねばいけないんでしょうね

広島の土砂災害の時 私の知人はボランティアで瓦礫の処分に行きました
ウチからそう遠くないのに 私は家族と自分のことで精一杯で行くこともできず、、
kokoさんは行動されただけでも良しですよ
ラムっちがいなくなって さて、生き甲斐はなんだろう
何か始めようか、、いや仕事があるじゃん
私も色々模索中です(^_^) 

2015/01/20 (Tue) 16:53 | EDIT | REPLY |  

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